社長の生い立ち|高知で新築注文住宅なら【建匠】家族の笑顔を生み出す工務店

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「株式会社 建匠」創業初代代表取締役 社長 西村龍雄と申します。 「株式会社 建匠」創業初代 代表取締役 社長 西村龍雄と申します。

建匠社長が高校の「現代社会」の教科書「進路と生きがいの創造」というコーナーに掲載されました。iPad版デジタル教科書なので、動画(インタビュー)で掲載されています。このコーナーは、お手本となる働き方をしている全国4名の先輩社会人を選抜。建築業界からは初めて建匠社長が選ばれました! 建匠社長が高校の「現代社会」の教科書「進路と生きがいの創造」というコーナーに掲載されました。iPad版デジタル教科書なので、動画(インタビュー)で掲載されています。このコーナーは、お手本となる働き方をしている全国4名の先輩社会人を選抜。建築業界からは初めて建匠社長が選ばれました!

株式会社 建匠は、2010年に私が創業した、新築住宅・店舗の設計・施工を生業とする、建築会社です。 株式会社 建匠は、2010年に私が創業した、新築住宅・店舗の設計・施工を生業とする、建築会社です。

◆まずは略歴から
1977年2月25日生まれ。
兵庫県神戸市で生まれ、0才より高知育ち。
須崎工業高校時代は実力テスト3年間オール最下位。
工業8科目はオール5でトップクラス。
空手歴15年、ダンス歴25年。
宮大工として11年修行後、リストラされ無職放浪の旅人になり日本を2周する。
高知に帰り着いた時には全財産35円の極貧から、
人生をひっくり返す為に2010年に住宅会社、建匠を起業。
創業8年で地場1位、12年でメーカー含む高知県1位。
今後は県シェア日本一(2位に2倍差で)を達成するべく邁進中。
受賞歴は全国賞など30くらいあるのでHPの受賞歴を参照。
高知&神戸を拠点に展開中。
将来の夢はアジア・ヨーロッパ・アメリカに拠点をつくり、
老後は毎年世界一周しながら旅をすること。
異業種展開で高知プリン亭もオープン初年♬

◆高知とのつながり
0才より高知市で育ち、高知で生活し、血筋もバッチリ高知県人です!!
宮大工時代から高知で修行し、起業後は東京・神戸にも
住んでみましたが、自邸を建てた地には高知を選びました。
飯も酒も美味い高知は最高です♬

◆一言メッセージ
地方創生を成すなら、大手企業に打ち勝つ地場企業が全業種に必要です!
私が創業した時代は1位(地場工務店に4倍で圧勝)から5位まで
全て大手ハウスメーカーでした。
住宅業界だけでも10年で数十億円というお金が
高知から出て行っているという現実を知り、
高知県一位の住宅会社に成る決意をし、達成しました。
ランキングTOP10を地場工務店がズラッと並ぶ未来を待ち望んでいます!
いろんな業種業態で大手に打ち勝つ地場企業を、
高知から生まれてほしいと願っていて、建匠が旗印になればいいなと思っています♬

ここから先は、もっと知りたいと思って頂ける方が読んでください♬

ダンサーとしても活動をしていて、県内外でソロ・ユニット等でショーを展開中です。

空手:15年
テコンドー:1年
ダンス:25年

小さい頃の私は、「気が弱い」「勉強が苦手」「運動が苦手」「自己主張ができない」...
そんな子供でした。良い所が思い付きません...
「優しい」とは言われていました。
そんな自分を変えたいと、10歳で従兄弟の勧めで空手の道の門を叩きました。
しかし自分を変える事は簡単ではなく、後から入ってくる門下生や
年下の子達にも負け続け、初勝利に3年かかりました。
不器用なので、少しずつの日々の積み重ねを誰よりも続ける事で、
強くなる事を学びました。

中学では、少しマシにはなったものの、やはりまだまだおとなしく...
いじめられっ子でした。
(自己主張ができないので、いじめやすかったのでしょう)

そして当時は荒れていた潮江中学校を地味におとなしく卒業しました。
中学の担任の先生には「絶対に無理だから高知工業はやめとけ」と
念押しされるほど成績が悪かったです(笑)

入りたかった高知工業の建築科は諦め、須崎工業高校の機械科へ進学。
高校での成績はなんと3年間実力テスト最下位...
しかし工業8科目は成績トップのオール5。
工業科目の方が多いので成績優良者として表彰して頂きました♬
好きな事なら伸びるものですね♬
『シンプルなエネルギー理論は万物に適用される』
今の経営戦略でも基礎になる学びを得ました♬

性格とは逆に、手先はとても器用でして、技術競技大会・旋盤の部では学校代表でした。

空手部に入部(人生で最も苛烈な3年間をなんとか生き延びる)
笑えない話はいくらでもありますが、空手部の経験が人生の糧になり、
強メンタルに育ちました。
この空手部での経験で、強大な敵や状況に立ち向かう勇気、
少が大に挑む戦術や精神、積み重ね地道に力を付け生きる基礎を学びました。
後の経営者人生の礎は、空手で身に付けたものです。

高校の空手部を引退後、自分の身体能力に嫌気がさし、
「このままじゃ嫌だ!」と、パワーリスト、重りをつけた生活を始めました。
現在まで30年、大工をする時も空手をする時もダンスをする時も遊ぶ時も、勿論今も、
来る日も来る日も重りを付けてトレーニングを積み、徐々に重量を増していき、
足首・手首・腰、合わせて7.5kgに。
今では重り付きのままでも、そこらの人より動ける様になりました(笑)

今の自分に何が出来るか悩んだ結果、自分探し&ダンス修行の旅に出る。 今の自分に何が出来るか悩んだ結果、自分探し&ダンス修行の旅に出る。

高校卒業後、高知では老舗で名の通るT建設へ入社。
ついた師匠が神社仏閣までこなす凄い御方で、その環境の良さも手伝い、
全国技能五輪大会(建築大工の部)に高知県代表に選ばれました♬

宮大工時代は、朝から夕暮れ時まで、1日が本当に早く感じるほどに毎日が楽しく、
充実した日々でした。
一生、職人として生きていくつもりで、この時は自分が経営者になるなんて、
1ミリも思った事がありませんでした。

そんな中、二級建築士の資格を取る時...
忘れもしない中間模試で0点(しかもマークシート)
あまりの衝撃にガリ勉し、最終全国模試では高知県1位に!!上下2冠達成です(笑)

そして忘れもしない28歳。
不況の煽りをくらい、どんどん仕事が減って行き、入社当初は20人居た棟梁が5人に...
そして、なんと無職に...リストラでした。

当時は多くの不幸が重なって2人暮らししていた大好きな祖母が亡くなり、
背骨を割ってしまい大工や空手やダンス、人生の全てを費やして来た全てが
ドクターストップ...
身体を使う事のみで人生形成していたので、「もう何も残ってないな...」と、
自暴自棄になっていました。人生の大きな挫折でした。
今の自分に何が出来るか悩んだ結果、自分探しの旅に出ました。
半分は死に場所探しの旅でもありました。
でも、何故、死に場所を探しているのに重りを付けているのか?
何故、トレーニングを続け、身体と向き合い、動く身体を求めて修練しているのか?
自分でもよくわかりませんでした。
身体の使い方を0から修正し、古武術にある技術を修練しながら、
日本を一周する頃には身体を動かせる様になりました。

ダンサーとしてソロでショーに出演し始めたのも旅中でした。
復活した舞台での歓声には、自然と涙が溢れてきました。
この旅の1周目で、生きる希望が湧いたんだと思います。まだやれる!と。

旅の2周目では、仕事として人生をどう創るか。
ダンスと違い、身体に荷重や負荷が掛かる大工の道はもう一生の仕事には出来ない。

旅の中で見つけた答えは『起業』
住宅会社を一から創る。
知識と経験をフルに活かし、日本全国、世界中から情報収集して、
『建築の最適化』を志しました。

大工で得た知識や経験は、設計士の側面から観れば必ずしも正しくはなく、
工務店が一方的に決め支給される資材も最適ではありませんでした。
これらを0から組み上げ最適化する事が、自分に出来る事だと思いました。

北の端(北海道稚内宗谷岬)から南の端(鹿児島県佐田岬)まで
全国に散らばる仲間達に助けてもらいつつ、
高知に無事生還した時にはなんと全財産35円。たった35円からのスタートでしたが、
大工としての腕は他社から『欲しい』と言って頂けるレベルではあったので、
休み無しで昼も夜も働き、ご飯も最小限に抑え、起業への準備を着々と整えて行きました。

背骨は壊れたままだったので、調整は難しかったですが、ギリギリ耐えてくれました。
この頃の私の食生活は、「焼肉のタレご飯」「具なしのシチュー」「寿司酢ごはん(具なし)」
要するに、お米だけですね(笑)
それなりに稼いでいたのですが、こんな生活を3年くらい続けていました。建匠を創る為に。

そして2010年。「株式会社 建匠」設立 そして2010年。「株式会社 建匠」設立

多くの人の出会いやチャンスに恵まれ、順調に成長しています。

現場で磨いた宮大工の経験と建築士としての設計力、全国各県のNo.1工務店から
学び続けた知識で、性能に優れながらもコストパフォーマンスを追求した
住宅を建築しています。

創業初年には、大きな成果を上げました。
最大受注成績(独立個人時代)
H21.8月 1ヵ月18棟契約
H21.9月~H22.3月 6ヵ月間で30棟建築

1年間の最大受注棟数 35棟
1年間の最大受注額 4億6千万円
※1人当り売上高、全国1位(日経ホームビルダー)

2位に2.7倍の大差で日本一。大きな自信にもなりました。

創業当初は「一人で県内一位の住宅会社に勝つ」
これが、とりあえずの目標でした。
住宅会社に必要な全部署のスキルを経営者自身が経験し、
磨き・高め、トライし続ける事で高レベルの社員育成が出来ると信じて。

そして、創業8年で地場1位、12年でメーカー含む高知県1位を達成。
今後は県シェア日本一20%(2位に2倍差で)を達成するべく邁進中。
高知は年間300棟が目標です!

関西への出店理由としては、いつか来る、南海トラフ大地震に備える為です。
建匠の関西拠点をハブとしながら、全国の住宅会社に協力を得て、
高知の企業が本州から支援を受けて地元を復興する。
そういう会社として、有事の際には高知を助けたいと思っています。

今では社員も増え、全国から集まって来た優秀な社員たちと精進しています。
『人の成長戦略』これが会社経営における、最大のキーワードじゃないでしょうか。

『想い』と『実力』どちらが欠けても、良い建築は創れない。
家も会社も。

TVや新聞、教科書まで、多くのメディアに出演。講演依頼も多数頂くように。 TVや新聞、教科書まで、多くのメディアに出演。講演依頼も多数頂くように。

TVや新聞、教科書まで、多くのメディアに出演させて頂き、講演依頼も多数頂きました。

・現代社会 教科書(全国高校2013年〜2018年)
Ipadデジタル教科書に掲載。
『進路と生きがいの創造』のコーナーに全国257万8千人(延べ)の社長たちの中、
唯一抜擢、掲載され、これからの人生・進路について語る。
ダンスも動画で紹介されている。

・TV出演(全国)
BSフジ ドキュメンタリー
『社長密着24時 世界を変える100人の挑戦者達』
国内の建築業界で初出演。
他、ナカイの窓・ZIP・ウラマヨなどで特集を組んで頂き出演しました。

・全国工務店経営者会議in高知にて、建匠オリジナルシステムをプレゼン。
高い評価を受け、全国で講演活動を行う。
県外初回講演 東京新宿 京王プラザホテル(他、日本全県で200本の講演実績)
国内の建築業の活性化に尽力。

『家族みんなが住めば住むほど幸せになる』家づくりを目指して。 『家族みんなが住めば住むほど幸せになる』家づくりを目指して。

空手を始めた10才で決めた自己理念
『想いを重ねて実力を積み上げる』
今でもこの自己理念を貫き通して生きています。

建築の可能性と、人の可能性。どちらにも妥協する事なく、
『家族みんなが住めば住むほど幸せになる』
そんな家づくりをしていきたいと心から思っています。
その先に、地域創生のお手伝いが出来ると良いなと思っています。

「株式会社 建匠」創業初代 代表取締役 社長 西村龍雄 「株式会社 建匠」創業初代 代表取締役 社長 西村龍雄

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